多摩丘陵から。

トレイルランニングを中心とした日々の雑記帳です

レースレポート14 第24回日本山岳耐久レース「長谷川恒男CUP」 ~ハセツネCUP2016~

今年もハセツネCUPに参戦してきました!!私自身記念すべき5回目のハセツネ。さてどうなったのか!?!?

●データ
第24回日本山岳耐久レース「長谷川恒男CUP」
2016年10月9日 13時00分start  制限時間24時間
東京都奥多摩山域
累積上昇高度 3,939m
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 11時間37分
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前日まで
 8月に病にかかり走ることができなくなった。このため楽しみにしていた信越五岳もDNS。ここ1年間積み上げてきたトレーニングも水泡に帰すという事態に。とはいえ山が恋しい。9月の後半から体調も良くなり、ウォーキング、自転車からゆるゆる体を動かし始め、10月に入るころには短い距離なら山を走られるまでに復活。とはいえ、こんな状態でハセツネ完走などできるだろうか。棄権しようという思いと、一方であの絶望的な苦しみの先の何とも言えない精神状態を恋い焦がれる思いが錯綜し…。自問自答を繰り返し出た結論は…、「ゆっくり走ろう!」絶対に無理をしないで体と対話しながら。目標は完走。記録は度外視してハセツネを楽しもうということだ!

 当日
 朝から雨。8時に会場の武蔵五日市会館に到着した際も雨は降り続いていた。選手控えの体育館はまだ空いていて入口から一番遠い端に我が牙城を築く。マットレス、寝袋、アイマスク、耳栓。我ながら準備は万端だ。目をつむるだけの仮眠をとって鬨は午前11時。さぁ、始動。渋滞回避のスタートダッシュに対応すべく入念にアップをする。雨は上がったものの、蒸し暑い。奥多摩の山々を望むと霧が立ち込めている。ハイドレの水は多い方が良いようだ。スタート1時間前の12時には戦闘態勢を整えスタート地点へ向かう。昨年はゴールタイム10時間代のほぼ先頭を確保できたが今年はすでに100人近くが並んでいる。私は完走が目的…とはいえ渋滞によるロスタイムは避けたいところ。このため10時間台の中盤あたりに並ぶ。大会関係者がしきりに自分の力量にあったプラカードへ並ぶようアナウンスしているが、集団意識には焼け石に水と思った。

レース
※スタートから第一関門
 大人の崇高な遊びの開幕。いい大人たちが号砲とともに子供のように我さきと駆け出す。戦国時代の戦の一番槍をつける勢いとはこのようなものだったのではないかと思う。多分にこれから訪れる苦しみに対する異様な精神状態がそうさせるのではあるが、理由はそれ以外にもある。渋滞の回避である。2,500名近くのランナーが人ひとりがやっと通れる登山道になだれ込むわけだから必ず渋滞は起こるのである。後方では30分以上立ち往生もざらだとか。だから前述のように力量にそぐわない時間のプラカードに並ぶ事態が発生するのである。これはもう名物として達観すべきか。さて、そんなことを考えながら広徳寺からトレイルに入る。ここからはもう無理な追い越しはできないので周りの流れに身を任せるしかない。登りは積極的に歩くというペースの位置にはまってストレスなくあっという間に入山峠に到着した。58分。まぁ、悪くない。峰見通りも登りは歩く。足にダメージを与えないように。第一関門の浅間峠に着いたのは3時間24分。昨年より22分遅れ。調子は悪くない。 

※第一関門から第ニ関門
足はまだまだフレッシュ。今からスタートしたような感覚で気持ちも前傾姿勢。いい感じだ。まだヘッドライトまでは不要な暗さだが立ち込め始めた濃霧が気になる。西原峠を経て三頭山へ。西原峠から約400mの高度を登る急登。「ふふふ、今夏に登った八ヶ岳縦走に比べれば子供だましの登りだ…」と、言い聞かせ苦しみを散らせる。3,000m峰だろうが、1,400m峰だろうがきついものはきついのだ。「何を私はやっているのだ?」という恒例の意識乖離がぽつぽつ始まるころ合い。久しぶりの精神状態である。三頭山から鞘口峠の下り区間では本格的な濃霧に見舞われる。判断を誤ると滑落する危険があるため、慎重に下る。本来三頭山山頂から第2関門までは稼げる区間なのだが濃霧に比例してペースが上がらず、もどかしい思いをするがしょうがない。月夜見山でちょうどハイドレの水がなくなる。素晴らしいタイミングだ。第二関門の月夜見第二駐車場に着いたのは6時間39分。昨年のタイムより10分遅れ。第一関門では22分遅れだったから、ペースが上がってきたようだ。 

※第二関門から第三関門
 月夜見第二駐車場を出発すると激下りが待っている。三頭山の急な登りで稼いだ標高という貯金を無残にばら撒くような下り。さらにこの後に控える御前山の登りを思うと、重ねて気が重くなる。下りきると三頭山ほどではないだらだらした登りが続く。足も重くなってきた。後続ランナーに道を譲り始めたのものここから。元来負けず嫌いな私にとって屈辱ではあるが体調を考えると致し方ない。御前山まで来ればあとは大ダワを経て大岳山をちょこっと登れば金毘羅尾根を疾走しゴールなわけだが、ここからが私にとって本当のレースなわけである。大ダワまでの「豪華絢爛木段下り」だ。例年ここで足が使い物にならなくなるのである。もちろん今年もお逝きになられたのは言うまでもない。一歩一歩に大腿筋に激痛が走り呻く。ブレーキがきかなくなった暴走車のように坂を下る。まさに地獄。大岳山の取りつきではもう踏ん張る力がない…。大岳山からは代わって「豪華絢爛岩下り」だ。今年は雨がトッピングされているというカオスな状況。さらに悪いことに、ここにきて食糧がジェルあと2個ほどとなってしまった。約400kcal。ゴールまでは持たない…。節約して走るもハンガーノックが襲う。手足が痺れてきて走る気力もなく関門手前の参道をトボトボと歩いていると食糧の落とし物発見!!!グミ状の食糧が1袋。恥も外聞もない。むしゃぶりつく。柑橘系の酸っぱさと程良い甘さが舌に堪える。ありがとう、落とし主様。第三関門の長尾平へ到着したのは6時間39分。この区間3時間ジャスト。大ブレーキである…。

 ※第3関門からゴール
 長尾平でとうとうベンチに座る。ハセツネ中に腰を下ろすなど、初めての経験だがとりあえず休みたかった。先ほど拾い食いした食糧のカロリーが体に行き渡る感覚と同時に元気になってきた。人間の体とは不思議なものである。10分ほど休憩して再出発。下りではやはり呻くものの平地や軽い上りは走れる状態に。日の出山頂からの都内の夜景を初めてゆっくりと眺めた。ベンチに座って夜景を堪能し金毘羅尾根に向かう。三頭山の登りから「何を私はやっているのだ?」という自問自答を数百回繰り返してきたが、金毘羅尾根まで来るとそれが生命や血の流れを感じ、家族をはじめこれまでお世話になった人への感謝への気持ちへ昇華し、自然と涙が出てくる。残り5kmのポスト。苦しみの道程が終わってしまう…。苦しいけどもっと走りたいという、訳の分からない精神状態になったとき眼前に武蔵五日市の街灯が目に入り、レースは終焉を迎えた。11時間37分でフィニッシュ。

 ※ゴール後
 奥宮さんがゴールで待っており、握手。興奮して何を話したか覚えていない。恐らく独りよがりの発言をしたのであろう。お恥ずかしい。さすがに終電はないため、近くのスーパー銭湯にバスで連れて行ってもらい入浴とお食事を済ませ仮眠し足をひきずりながら帰宅したのであった。

 

  ●総評
 病のため、1年で一番走らなければならない8月に走れなかったこと、また病み上がりであったことを考慮すれば、現状最大の力は出せたと思っている。特に体と対話して無理をせず走れたことはいい経験になった。良かったことは2点ある。まず水分量だ。アップ時の湿度から水分は多めが良いと判断し、ハイドレに入れていた水を1.5リットルから0.5リットルを追加し2リットルにしたことだ。これにより脱水症状には陥らなかった。(第二関門で脱水症状によるリタイアが多かった)2点目は今年は手袋をして走ったことだ。何度か転倒したが手に傷はなく手袋の重要性を知ったことは良かった。

悪かったことはハンガーノックに陥ったこと。今回は完走タイムに合わせたカロリーを持たず、ジェルとゼリーのみで固形物を持たなかった。落とし物の食糧を拾わなかったら金毘羅尾根で動けなくなっていたかもしれない。ゾッとする。来年はこれらの反省を踏まえて体調を整えサブ10、サブ9を狙いたい。

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さて、思い入れのある大会のため長文となってしまいましたがいかがでしたでしょうか。レースから3日経った今もまだ筋肉痛。後遺症は続きそうです。